この記事はこんな方におすすめです
- セカオワの「不死鳥」の歌詞の意味をじっくり考えてみたい方
- 大切な人やものを失った経験がある方
- 「なぜ失うことは、こんなに苦しいんだろう」と考えたことがある方
- 心理学やリハビリの視点から、音楽を読み解いてみたい方
僕の「好きなセカオワの曲トップ5」の中に、実はこっそり「不死鳥」を入れています。
理由は、単純に切ないからです。
でも、切ない曲なら世の中にはたくさんあります。それなのに、この曲がずっと僕の中に残っている。なぜなんだろう。
改めて考えてみると、この曲の切なさは、単純に「死」や「別れ」を歌っているからではないように感じました。むしろ、
「ずっと続いてほしい」と願いながら、同時に「終わりがあることの大切さ」に気づいていく。
そこに、この曲の不思議な魅力があるように思います。
今日は、公認心理師として、そして理学療法士として人の人生に関わってきた僕なりに、「不死鳥」という曲について考えてみたいと思います。
「不死鳥」というタイトルが面白い
まず、「不死鳥」という言葉から考えてみます。
不死鳥、つまりフェニックスは、死んでも再びよみがえる存在として知られています。死んでも終わらない。何度でも生まれ変わる。つまり、
「永遠に生き続ける存在」の象徴ですよね。
ところが「不死鳥」という曲を聴いていると、僕には少し違ったものが見えてきます。
この曲に登場するのは、人間と、寿命を持たない存在です。人間には限りがあります。年を取ります。いつか死を迎えます。でも、相手にはその「終わり」がない。
最初は、そんな相手のように自分も永遠に生きられたらいいのに、と思う。好きな人とずっと一緒にいたい。別れたくない。終わってほしくない。これは、とても自然な気持ちですよね。
ところが、物語が進んでいくと、少しずつ考え方が変わっていきます。
「永遠に続くことが、本当に幸せなんだろうか?」
そんな問いが見えてくるんです。
終わりがあるから、「今」が大切になる
僕がこの曲を聴いていて一番考えさせられるのが、ここです。
例えば、あなたに大好きな人がいるとします。
「この人と一緒にいられる時間は、あと10分です」
そう言われたら、どうでしょう。きっと、その10分をものすごく大切にすると思います。いつもなら何気なく過ごしている10分なのに、「あと10分しかない」と思った瞬間、一秒一秒が特別な時間になります。
でも、「この人とは永遠に一緒にいられます」と言われたらどうでしょう。もちろん、それは嬉しいことです。でも、もしかすると、「また明日話せばいいか」「今日は疲れたから、また今度でいいや」となってしまうかもしれません。
つまり、終わりがあるからこそ、今という時間が大切になる。
僕は「不死鳥」が、そんなことを考えさせてくれる曲だと思っています。
「失うこと」は、どうしてこんなに苦しいのか
僕は公認心理師として、人の心について学んできました。そして、仕事を通して、たくさんの人の人生にも関わってきました。
そこで感じるのは、人は、何かを失ったときに、単に「悲しい」だけではないということです。
大切な人を失ったとき。仕事を失ったとき。健康を失ったとき。今までできていたことができなくなったとき。住み慣れた場所を離れることになったとき。
そこには、「これからどうすればいいんだろう」という不安があります。「もう元には戻れないんだ」という寂しさもあります。そして、「なぜ自分が?」という怒りが出てくることもあります。
だから、失った直後に、「前向きにならなきゃ」「早く立ち直らなきゃ」と考える必要はないと思います。
悲しいときは、悲しくていい。つらいときは、つらくていい。人によって時間も違います。すぐに元気になる人もいれば、何年経っても思い出すたびに悲しくなる人もいます。それは、おかしなことではありません。
「忘れる」ことが、立ち直ることではない
大切なものを失ったとき、「早く忘れなければ」と思う人もいるかもしれません。
でも僕は、必ずしも忘れる必要はないと思っています。むしろ、
「その人や、その出来事を、自分の人生の中でどう受け止めていくか」
が大切なのではないでしょうか。
例えば、「あの人がいなくなって悲しい」という気持ちが、「あの人と過ごした時間があったから、今の自分がいる」という思いに変わっていくことがあります。
悲しみが完全になくなるわけではありません。思い出せば、今でも苦しくなるかもしれない。でも、その出来事の意味が少しずつ変わっていく。僕は、これも一つの「前に進む」ということなのだと思います。
「不死鳥」は、悲しい曲なのに、最後には少し優しい
だから僕には、「不死鳥」が単なる悲しい恋の歌には聞こえません。
最初は、「永遠に一緒にいたい」という気持ちがある。でも、永遠に続くことだけが幸せなのかを考えていく。そして、「終わりがあるからこそ、この時間が大切なんだ」というところに近づいていく。
これって、実は僕たちの日常にもあります。
桜は散ります。夏は終わります。子どもは成長します。若い頃の体力も、少しずつ変わっていきます。大切な人との時間にも、いつか終わりが来ます。
だからこそ、今日、一緒にご飯を食べる。今日、話をする。今日、「ありがとう」と伝える。そういう何気ない時間が、実はとても大切なのかもしれません。
僕自身の「終わり」を意識した経験
ここで少しだけ、僕自身の話をさせてください。
僕は以前、パチンコにかなりお金と時間を使っていた時期があります。その頃の僕は、
「今日負けても、明日取り返せばいい」「今月ダメでも、来月がある」
そんなふうに考えていました。つまり、いつでも取り返せると思っていたんです。だからこそ、「今日」という一日を、それほど大切にしていなかったのかもしれません。
ところが、「このままでは本当に取り返しがつかなくなる」と感じるようになりました。
そこで初めて、「何でもいつでもやり直せるわけではない」ということを、自分の問題として考えるようになりました。
不思議なことに、「終わりがある」と考えるようになってから、逆に毎日を大切にするようになりました。
今日できることは今日やる。会いたい人には会う。伝えたいことは伝える。自分の時間を、自分が本当に大切だと思うことに使う。そんなことを少しずつ考えるようになったんです。
理学療法士としても感じる「今の大切さ」
これは、僕が理学療法士として仕事をしていても感じることがあります。
人は、体が普通に動いているときには、「歩けること」「立てること」「自分で着替えられること」「好きな場所に行けること」を、それほど特別なことだとは思いません。
でも、病気やケガなどで、それまで普通にできていたことができなくなると、「歩けるって、こんなにありがたいことだったんだ」と気づくことがあります。
当たり前だったことが、当たり前ではなくなる。そのとき初めて、その大切さに気づくことがあります。
「失うこと」は、もちろん悲しい。でも同時に、「今あるものの大切さに気づくきっかけ」になることもあると思っています。もちろん、これは「失ってよかった」という意味ではありません。失うことの苦しさは、簡単に肯定できるものではありません。ただ、その経験の中から、自分なりの意味を見つけていくことはできる。僕はそう考えています。
「不死鳥」を聴きながら、少しだけ考えてみてほしいこと
もし今、あなたにも大切なものがあるなら。
家族でもいい。友人でもいい。仕事でもいい。趣味でもいい。健康でもいい。
「ずっと続いてほしい」と思うものがあるなら、一度だけ考えてみてください。
そう考えると、いつもの一日が少し違って見えるかもしれません。
いつも一緒にいる家族との会話。友達から届いた何気ないLINE。好きな音楽を聴く時間。健康に歩けること。自分で好きな場所に行けること。
当たり前だと思っていたものが、実は当たり前ではないことに気づくかもしれません。
まとめ|終わりがあるから、今が愛おしくなる
「不死鳥」という曲を聴いて、僕が一番強く感じるのは、
「永遠だから大切なのではなく、終わりがあるからこそ大切にできるものがある」
ということです。
- 出会いにも、別れがあります
- 若さにも、終わりがあります
- 仕事にも、いつか区切りが来ます
- 人生そのものにも、いつか終わりがあります
だからこそ、今日という一日があります。今、一緒にいる人との時間があります。今、自分にできることがあります。
失ったものを無理に忘れる必要はありません。悲しみを急いで消す必要もありません。ただ、その経験を抱えながら、
「これから自分は、何を大切にして生きていこうか」
と考えてみる。それだけでもいいのだと思います。
「不死鳥」は、そんなことを僕に考えさせてくれる一曲です。
そして、今日もこの曲を聴きながら思います。
終わりがあるからこそ、今という時間は、こんなにも愛おしいのかもしれない。
